哲学カフェの仲間?たち


哲学カフェ・哲学対話という言葉は、比較的新しく、定義がはっきりしないため、似たものと比較したほうがわかりやすいかも。
もしかしたら求めているのは、実は哲学カフェや哲学対話ではないかもしれませんからね。
(ざっくり書いてしまっています。かなり私見が強く出ており、また、用語等も不正確だと思います。)

P4C(philosophy for children)とかっこよく呼ばれることもあります。
学校教育の場で哲学対話をするというもので、哲学と教育学の学際的な分野の学問になります。
学校での哲学対話の方法論から、子どもが学校で哲学対話をする意義まで幅広い分野にわたるようです。
いくつかの学校では実際に行われているようです。(うらやましい・・・)


子どもの哲学について学ぶ場としては、「こども哲学 おとな哲学 アーダコーダ」(東京)、「P4C JAPAN」(大阪)があります。P4C JAPANの参考資料はしっかりまとまっています。

大阪大学総長も務めた哲学者の鷲田清一さんが始めたもので、大学内だけでの哲学ではない、現場によりそった哲学というような意味だと思います。
哲学を学んだ者は大学の中から出て、臨床医のように現場で具体的な問題解決のため働くべき、という感じでしょうか。(ちょっと言い過ぎかもしれません。)
だから、街なかの現場である哲学カフェの哲学も臨床哲学のひとつだと言ってもいいでしょう。
実際、哲学の大学教授の方が哲学カフェの進行役になることもあるようです。
大阪大学では、臨床哲学研究室もあるようです。
行ったことがないのですが、哲学カフェと並んで、盛んに開催されているようです。 科学的な話題について気軽に話すことができる場なのだと思います。
科学的でない話をしたい場合や、科学というものを疑うような話をしたい場合は哲学カフェ、科学を前提にして、科学が深く関係することを話したい場合はサイエンス・カフェ、という使い分けになるのかもしれません。
(地球温暖化の是非、なんて話題だと、進行によってはサイエンスカフェにもなるし、哲学カフェにもなりそうですね。)
本質的に、当日のテーマについて科学的な知識がある人が一人は必要なように思います。
いわゆる討論のことですが、特に、学校や企業研修では、あるテーマについて賛成と反対に分かれ討論し、審判が勝敗を判断するというかたちでディベートが行われます。
つまりディベートは、試合、勝負なので、哲学カフェでの対話のように、皆で協力して答えを探そう、というものとは全く違います。
だから、討論、ディベートと、哲学対話は全く違う、とよく言われます。
しかし一方で、ディベートの勝敗を左右するのは、論理構成や実例・データの充実度合い等々になるので、主張する人は、自らの主張の論理構成に問題がないか、また、実例・データと主張が合致しているか、といったことを注意することになります。
また、相手の主張もしっかり聞き、主張の弱点を探さなければなりません。
そう考えると、ディベートにより、相手に伝わるようしっかり話し、相手の話をしっかり聞くスキルが身につき、それが哲学対話でも役立つと考えれば、対話と討論はどこかつながっているとも言えますね。
(某討論番組での政治家のように、相手に伝わるかどうか気にせずしゃべりたおし、相手の話も聞かないのは論外ですが。)
傾聴とは企業研修などで使われる用語で、要は、人の話をしっかり聞く、という小学生でも言われていることを、かっこいい用語にしたものです。
また、コーチングも同様に、企業で、主に上司が部下の話をしっかり聞き(傾聴し)、問いかけることで、部下が自発的に働くようにする、というものです。要は、上司と部下がしっかりコミュニケーションをとるということですね。
ただ、しっかり聞き、問いかける、と言ってもどうすればいいのかわからないので、色々と整理されビジネス書にもなっているようです。
その整理のひとつとして、共感をもって聞き、問いかけることが重要、というのがあります。
この共感とは、おすすめの本として挙げたマシュー・リップマンの本「探求の共同体 ─考えるための教室─」において(哲学対話に)必要とされる「批判的思考」「創造的思考」「ケア的思考」のうち、「ケア的思考」と通ずる、哲学対話に必須のものだと思います。
こんなふうに、ビジネス用語と哲学対話を繋げることもできると思います。
これもビジネス用語ですが、ビジネス書でクリティカル・シンキングというと、演繹法、帰納法といった論理的な思考方法を誤りなく適用する技術というような感じで使われていると思います。
しかし、哲学的には、カントの哲学は、これまでの哲学者が前提としていたことを考えなおした哲学、というような意味で「批判哲学」と言われるように、「批判」という言葉は、もっと幅広く捉えたほうがいいと思います。
今まで当然と思っていたことを考えなおすことがクリティカル・シンキング(批判的思考)だとするなら、哲学カフェなどの哲学対話でもクリティカル・シンキング(批判的思考)は重要だと思います。
上記マシュー・リップマンの「探求の共同体 ─考えるための教室─」で(哲学対話に)必要とされる「批判的思考」「創造的思考」「ケア的思考」のうち、「批判的思考」そのものですね。
(ビジネス書での批判的思考と哲学の批判的思考がどうつながるのか、ちょっと興味があります。)
カウンセリングが盛んな欧米では、哲学もカウンセリングになってしまうようです。
私のイメージでは、哲学的な思考方法に長けたカウンセラーが、クライアントの悩みを聞き「その問題については、こういう思考方法もできるよ。」なんてアドバイスする、というのを想像していますが、よくわかりません。
哲学コンサルテーションも同じイメージです。経営者の話を哲学者が聞き、「その問題については、こういう思考方法もできるよ。」とアドバイスする感じ。これもよくわかりません。
(日本ではまだ一般的でないと思いますが、歴史がありブランド力もある「哲学」という言葉を変に消費してしまわないよう、質のよい哲学カウンセリング・哲学コンサルテーションをしていただきたいです。)
学校などでの子どもの哲学や、哲学カフェでの哲学対話などに加え、哲学カウンセリング・哲学コンサルテーションといった面での実践的な哲学の活用全般について、包括的に、哲学プラクティスという捉え方をすることもできるようです。
哲学プラクティス国際学会というものもあり、研究が進んでいるようです。
(活用されるものとしての「哲学」をどう規定するかによって、哲学の活用ということの意味合いも大きく変わってくるので、入り口での慎重な議論が必要だと思います。)
(全くの専門外なので勘違いがあるかもしれませんが)精神疾患がある患者が自らの物事の感じ方、捉え方を言語化して記録し、自ら振り返り、専門家のアドバイスを受けるという療法だったと思います。
人との対話を通じて、問題を言語化して捉え直し、浮かび上がらせ、答えを探すという哲学対話のプロセスととても近いところにあるのではないかと思っています。
癌などの重い病気の人との対話を通じて、病気の負担を軽くする、というもののようです。
行ったことがないのでなんとも言えませんが、読む限り、対話・傾聴を重視しているという点で、哲学対話的なように思えます。
死というのは哲学の一大テーマですから、癌のような、死の可能性を実感する状況においてこそ、哲学は求められているのかもしれません。
一般社団法人がん哲学外来というサイトもあります。
ドイツの哲学者レオナルド・ネルゾンと弟子グスタフ・ヘックマンがつくりあげた哲学対話の手法のひとつのようです。
WEBにあるものを読む限り、(哲学カフェなどでの)対話のテーマ設定、話の進め方などについて、ある程度具体的な手順が示されており、準拠するものがほとんどない、哲学カフェの進行役にとっては、とても参考になるもののように思えます。
Cafe Philo カフェフィロで有料セミナーがあるので、私も是非受けてみたいと思っています。
ただ、本場のヨーロッパでは哲学対話の手法は他にも色々とあるようですし、日本とヨーロッパとでは国民性も違うと思うので、進行役はNSD(ネオ・ソクラティックダイアローグ)なども参考にしつつ、自らの技?を試行錯誤して編み出す段階にあるのだと思います。
(日本人にうまく合った哲学カフェの進行手順が見つかり、どこでも標準化した手順で哲学カフェが行われるようになったら、安心だけど、なんだかつまらない気がしますね。)
いわゆる板書ですね。
カフェでなく、会議室などで哲学対話をする場合、議論を整理するのに、ホワイトボードなどに話の流れを記録することがあります。
議論がわかりやすくなる一方で、書かれたことに議論が引きずられ、固定化する危険もあるようです。
(あえて、ここで項目として挙げたのは、哲学対話に合ったファシリテーション・グラフィックのテクニックみたいなものを誰か編み出してくれないかな、と思ったからです。議論を変に固定化せず、議論がわかりやすくなり、活性化するような板書をしてもらえたら、参加者としてはありがたいのですが・・・)
多分、哲学カフェよりも読書会のほうが、間口が広く、活発に行われていると思います。
初めて会った人と結構深い話をしてしまった、という哲学カフェの快感は、読書会でも味わうことができるので、哲学対話ということにこだわりがなければ、読書会もいいと思います。
言ってみれば、他の人の知識・経験を味わうのが読書会で、他の人の思考プロセスを味わうのが哲学カフェという感じでしょうか。
(私は読書会の経験があまりないので、詳しくはわかりませんが・・・)
特に新宿の朝日カルチャーセンターでは、有名な哲学者が講座を持っています。
講座の中では質疑応答の時間もあるので、哲学者と哲学対話もできますよ。
多分、学生ではない一般人が少しでもアカデミックな香りがする哲学に触れようとしたら、ほぼこれしかない、という気がします。
学割もあるので、学生にもおすすめです。
(ほかに、社会人が哲学に触れられるところがあったら教えて下さい。)
と言いつつ、もうひとつ東京で本格哲学に触れられるところがありました。
有名な哲学者中島義道先生が主宰している哲学塾カントです。
中島先生ではない別の方による特別講義に1回行ったことがあるだけなので、どんな感じかはよくわかりません。