劇的対話『ソクテツ』かあ、面白そうなんだよなあ、という話です

「即興演劇×哲学カフェ」改め「劇的対話『ソクテツ』」さんからお声かけがあり、PDFもいただきました。
関西なのでなかなか行けないのですが、体の動きと哲学対話っていうのは面白そうな組み合わせだなあ、などと思っています。
東京あたりでやるときがあれば行きたいです。また、コラボ募集中とのことなので、そういうのに強い東京近辺の主催者の方、是非。

と、3連休で暇だしせっかく声かけいただいたので、ソクテツさんのfacebookを眺めていたら、こんな一文がありました。

「時間だけがただ流れ続ける中に、無限とも思えるような分岐点が存在したはずで、言葉だけではAの道かBの道にしか行けないけれども、もしそこに動きや音が入った場合、Gの道や☆の道、🐥の道に行けるかもしれません。その可能性に賭けながら、明確な正答を導く必要の無い対話の中で、より多様な応え方、応じ方を探して行くことができれば、と思っています。」

哲学カフェに参加したことがある多くの方が感じるのでは、と思うんですが、
僕は、哲学カフェ終了後に振り返って「もし、あのとき、別の展開になっていたら、この哲学カフェはどうなっていたんだろう。」なんて思うことがよくあります。
「もし、あのとき僕が発言しなかったら、どうなっていたんだろう。もしかしたら、もっと面白い発言をしてくれる人がいたんじゃないか。」なんて。

哲学カフェには、簡単なテーマ設定しか無いので(テーマ設定自体がない場合もあります)どういう対話がなされるか、無限の可能性が広がっています。
そして、哲学カフェには、その無限の可能性のなかから柔軟に、無邪気に道を選択し、対話を展開していくという楽しさがあります。
それが楽しいからこそ、もっと柔軟に、もっと無邪気に対話って楽しめたんじゃないか、なんて思っちゃうのです。

そのひとつのやり方が、こういうことなのかも。
もし、動きや音で、更に哲学対話を楽しめることができたなら、面白いなあ。と思いました。
(けど、動きはわかるけど、音?というのがよくわからない。百聞は一見にしかず、なのかな。)

(PDFファイル)

プロジェクト チラシ裏

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