【過去の記事】ヨコハマタイワ(日本大通り・関内) を開催しました。(2016年4月10日(日))

前のサイトから移行しました。
ヨコハマタイワ1の開催レポですね。
なつかしい・・・

・・・

いよいよ、僕が哲学カフェを初開催しました。
場所は横浜の開港記念会館です。ジャック、クイーン、キングの3つの塔のうちジャックの塔で重要文化財にもなっています。
なんとなく午前中から落ち着かず、早めに近くのピザ屋でランチを食べて散歩して30分前に会場入りしました。そうしたら、既にお二人来ていて、もう少し早めでもよかったかも。
申し込みは10名でしたが、数日前からキャンセルがあり、当日も2名キャンセルがあり、6名で開催しました。全員男性でしたが年齢は幅広かったかな。

テーマは、事前にアナウンスしていた「会社や学校の休みって、多ければ多いほど嬉しい?」「ぬいぐるみを捨てるのって、なんで嫌なんだろう?」「ご近所づきあいって、必要?」の3つから「ご近所づきあいって、必要?」に決まりました。
事前説明からテーマ決めまで15分、そして、対話は10分の休憩を挟み、2時間ほど行いました。
備忘録的に書いておくと、僕の理解としては「ご近所付き合いとは何か。」というところに話は向かっていったように思います。
僕は進行役として発言を整理するのに精一杯で、僕が思いつきで適当にテーマ設定した言葉が一人歩きしていくのを、ただ見守るという、なかなか味わえない変な感じを味わいました。
話の流れは、実はこの「ご近所付き合い」という言葉は、行政サービスが欠けている分野を代替するものとしての地域コミュニティとか、国家と個人と自由の関係とか、人としての基礎的な社交の場とか、色んな意味を含んでいて、そのような意味合いを全てそぎ落としていくと、「ご近所づきあい」の本質には、「個人がご近所と挨拶などしてつきあう」という、非常に当たり前なやせ細った意味だけが残る。ざっくり言うと、そんな流れだったかもしれません。当然、それだけじゃなくて、色んな流れが重層的にあったのですが。

進行役を初めてやって思いましたが、人の話を聞くのに精一杯で、対話の流れを俯瞰して考える余裕が無いですね。話の中に入り込んでしまうというのでしょうか。
あと、対話に入り込み、自分の意見を持たなかったからこそ感じたのかもしれませんが、一つの対話の場にいながら、皆がぜんぜん違う捉え方をしているというズレを体感できたような気がします。
参加者それぞれの概念枠のようなものが幾重にも重なりあうのが、まるで三角や四角といった色々な図形が重なりあい複雑な図を描いていくようでした。
進行役としては、このズレは調整しなければ、と思いつつも、いくら時間があっても、これらのズレのうち半分くらいは調整できても、もう半分はどうしようもないというあきらめがありましたね。
テトリスですごい速さでブロックが落ちてきてGAMEOVERになる直前の感じというのでしょうか。ヘトヘトで集中力が限界だったので、物理的にこれ以上無理です。
まあ、調整して抑えようとしても、それを振り切る言葉にこそ、対話の力が宿っているということで・・・

終了後、反省の意見を何点かもらいましたが、「ご近所付き合い」というテーマ設定の難しさについての意見が多かったです。
テーマを事前に告知したほうがテーマに沿った参加者が集まったのではないか、もう少し広いテーマ設定のほうがいいのではないか、などなど。
僕としてもテーマが狭くて動きにくかったな、という感覚があります。ただ、テーマが大きければいいのか、事前に告知したほうがいいのか、というと要検討。
きっと、「ご近所付き合い」というかなり限定されたテーマには参加者があまり興味がない、というのが一番の問題だったと思うのだけど、皆が好きないわゆる哲学カフェらしいテーマならいいのかというと個人的に疑問。
あと、進行上の反省点としては、もう少し具体的な身近な実例に戻ってみてもよかったかな、と思います。男性が多かったからか、ちょっと話が上滑りして地に足ついてなかったかも。抽象度上げるのを目指してはいたんだけど・・・
まあ、のんびりと次回に向けて考えてみます。

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