ヨコハマタイワ19でした

いつもより、ちょっと長文ですご注意を。

三連休の初日の土曜日(11月2日)午後に、ヨコハマタイワ19を開催しました。

今回は、ちょっと冒険して僕の趣味全開なテーマを設定しました。
「実体験と小説・映画・ゲームなどを通じた体験とでは、どっちが重要なのか。」
わかりにくいですよねえ・・・
言い換えれば、リアルとバーチャルはどっちがリアルなのか、かな。これもよくわからない・・・
というテーマにも関わらず5名の方に参加いただきました。成立してよかった!
参加者は全員男性。それも、推測ですが30~40代の方ばかり。僕に近い属性の方が参加してくれるというのは純粋に嬉しいです。え、性別とか年齢層とか幅広いほうが嬉しいんじゃないないの?と思うかもしれませんが、そのあたりの話は後述。

慣れてる方が多かったので、いつものようにあだ名だけ自己紹介してスタート。

まず、ゲームと小説・映画を同列に考えてよいのか、という論点が出ましたね。
ドラクエで何十時間プレイした時間はさすがに無駄ではないのか、みたいな。
これについては、僕の中では、ゲームや映画にあるストーリー性が重要なのではないかと感じました。ゲームの場合、ストーリー性が希薄なものが多いので、そこが弱いのかな、と。
そして、話に出た作家のメッセージ性というのも、ストーリー性に絡んで、キーワードになると思いました。作家のメッセージ性というのは、つまり、小説や映画のなかに、作家という他者の存在を読み取るということであり、それは、実体験にはない魅力だなあ、という感じ。

また、その流れのなかで、実体験と映画と小説とゲームの違いは情報量の違いなのではないか、という話もありました。文字だけの小説より動画がある映画のほうが情報量は多くて、匂いとかも感じられる実体験のほうが更に情報量が多い、みたいな話。一方で、何十年の人の一生を2時間に圧縮できるという意味では、実体験よりも映画のほうが情報量は多いとも言える。(あと、才能がある作家がきれいにまとめてくれるという話も。)そこに絡んで、情報量とは別に、自由度(映画は選択肢ないけど実体験は自由に行動して結果を選択することができるみたいな話)という物差しがあるとか、話が展開しました。

あと、小説や映画の重要性というのは、実生活との関わりとしての重要性なのか、それ自体の重要性なのか、という論点も出ました。恋愛小説を読むことで恋愛が上手になるというのが前者で、楽しい時間を過ごすというのが後者という感じですね。
そこから、後者の小説や映画、それ自体の重要性について考える道で進み、逆に実体験の実体験たる要素ってなんだろうという話にもなりました。フィクション小説は実体験の側ではないのは当然だけど、よく考えてみるとノンフィクション小説も作家が書くことを選択しているという点で実体験ではなくフィクションとも言える。フィクションの楽しみなんて全くないように思える鎌倉時代の農民だって、多分、旅人の話を聞いたりしていた。と考えると、かなりのものがフィクション側なのではないか、というような話です。僕が気になったのは、実体験の重要性は、フィクションを楽しむ前に、とにかく、現実で生き残らなければならないところにあるという話ですね。そのとおりと思いつつ、そこに回収されない実体験の重要性ってあるのかな、と思いを巡らせました。
多分、このあたりの議論は、哲学において実存とも言われるようなかなり深い話で、哲学カフェとしては行き着くところまで行き着いた、この日の対話のピークだったように思います。
ここまで、休憩を挟んで1時間半弱。多分読んでわかると思いますが、ここまで色々な話がどんどん出て、十分お腹いっぱいでした。

最後に、小説や映画の実生活との関わりとしての重要性について少し話し、新たな価値観に出会えることとか、娯楽であるとかといった意見が出ました。
で、僕も含めて皆さん疲れてきたようなので、1時間45分で終了。こういう燃え尽きた終わり方は久しぶり。
最後に皆さんに一言いただきました。皆さん、それぞれに、バーチャルな非日常に思いを馳せていただいたようでよかったです。

全体を振り返ると、今回の対話は、僕にとってとても意義深いものでした。
まず、話の展開がすごく早くて、僕もがっつり、好き放題、主張、反論させていただいちゃいました。その結果、僕の哲学的関心に直接ひっかかる話がたくさん出て、今後の僕の思索に役立ちそうだな、と思いました。これは、哲学対話における「哲学」の部分で、大きな収穫があったということです。
一方で、哲学対話における「対話」のほうは、かなり犠牲にしたような気がします。それは半分意図的なもので、半分は偶然によるものです。
今回は、僕の関心がある(多分人気がない)テーマにして、僕もグイグイ発言するぞ、というのは最初から決めていました。これは参加者のことをあまり配慮しないということでもあり非・対話的と言えるでしょう。
偶然だったのは、同じような世代の男性ばかりだったという点です。(まあ、テーマ設定からの必然的な帰結ような気もしますが)似たような属性の方ばかりだったため、多様性があまりなかったように思います。進行していて、ここで違う世代の人や女性がいたらどんな発言があるかなあ、なんて時々思いました。と否定的に書きましたが、今回やって、多様性がないからこそ、話がトントン拍子に進み、深いところまで話が行き着くことができたとも実感しました。僕がかなりぶっ飛んだ哲学的な方に振った意見を言っても、すぐにわかってもらえて、え、そこで反論とか疑問が出ないの!みたいな驚きが出るほど。属性が近いからこその、打てば響くという快感というのかな。だから、いつもより短い時間でもお腹いっぱい。大満足。
哲学と対話はトレードオフな関係性にあるという側面もあるなあ、と実感したのが、今回の一番の収穫だったかも。

今後は、(僕の趣味で)哲学に思いっきり振るイベントと、対話を大事にするイベントの両方をやっていこうかな。今回の長文でわかるように、僕にとって哲学はすごく大事です。けど、対話というのも大事なんですよね。哲学カフェを始める前は気づかなかったけど、そこで出会える人の魅力って大きいなあ、と最近思います。哲学的にグイグイ行くのとは別に、対話ならではの心がこもった言葉の魅力ってあるんですよね。

ということで、男ばかりでさくっと飲んで、帰宅してラグビー決勝戦をテレビで観ました。
いつもそうだけど、今回は特に、僕のわがままな実験にお付き合い頂いた参加者の皆さんに感謝です。

ヨコハマタイワ19でした” に対して1件のコメントがあります。

  1. 今回はなかなかスポーツ的な面白さがありましたね。
    みんなでパスを回してゴールを狙う、みたいな。

    おっさんのフットサル大会みたいなもんかな。(笑)

    あとおばさんでもおばあちゃんでもいいから女性一人いてくれると
    いいですね。

    ちょっと感じが変わんだなぁ。。

  2. ichiro より:

    戦ってる相手チームは誰でしょうね。
    知の格闘技!じゃなくてフットサル的に感じるところが面白いですね。
    あと、哲学対話がよく例えられるのは、集団での登山ですが、パス回し感だとフットサルかも、確かに。

    まあ、どんな参加者か蓋を開けるまでわからないっていうのも主催者としては面白いですけどね。
    あと、常連、初参加のバランスとか、年齢のバランスとか、色々要素があって、1回限りの状況にどう対処するのか、っていうのも主催者としては楽しんでます。

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