ふたりヨコハマタイワをやりました

1 はじめに

ふたりでやる哲学カフェ、名付けて「ふたりヨコハマタイワ」を3人の方と1回ずつ、計3回やりました。
(一応、こっそりとヨコハマタイワ20、21、22と名付けていました。だから、次にやるのはヨコハマタイワ23となります。)
個人情報となるので、あまり具体的なことは書きませんが、一応記録を残しておきます。

2 ふたりヨコハマタイワの概要

まず、こんなことをやることにした動機ですが、最近、 哲学カウンセリングや哲学相談と呼ばれる活動について話を聞く機会がありました。要は二人で哲学カフェをやるようなものです。話を聞いて、面白そうと思ったのだけど、一方で、カウンセラーの教育も受けていない素人が カウンセリングや相談なんて危険なのではないか、とも言われているようです。
そんな話を聞き、本当のところはどうなのか、ちょっとやってみようかな、と思い立ったものです。つまりは実験ですね。

募集は、一度は僕がやっているヨコハマタイワに参加したことがある方にメールで行いました。
3名限定で募集したら、ちょうど3名から応募いただいたのですが、これが多いと見るか少ないと見るかは微妙なところですね。無料ということも考えると、あまりニーズは高くないような気もします。

実験にお付き合いしてくれたのは、何回か参加いただいたり、二次会などで飲んだりしたことがある方ばかりでした。(どなたかはご本人から言うまでは内緒です。)
だから、事前説明は、いつもの哲学カフェを二人でやるんだよ、と説明すれば済んだのでよかったです。正直、全く哲学カフェというものを知らない方とやるのは、きつい気がするし、後述するように、ふたりきりだと僕というキャラがより濃厚に出る気がするので、僕の対話のやり方や僕という人間についてある程度知っていることすら必須のような気がします。

なお、募集の際には、哲学談義でもいいし、お悩み相談でもいいですよ、としたところ、形式としては2名がお悩み相談で、1名が哲学談義でした。哲学談義のほうが、なぜ、そのようなことを話題とするのか、という疑問が増えるので、難易度が高かったような気がします。

時間は事前には決めませんでしたが、3回とも、途中で5分ほど休憩を入れ、1時間20分くらいで、もうお腹いっぱいかな、という感じになりました。やはり二人きりだと、どちらかがずっと話すことになるので、大人数でやる哲学カフェより疲れる気がします。ただ、終わったからといって明確な結論が出る訳ではないのはいつもの哲学カフェと同じですが。

3 哲学カウンセリングの問題

やった感想として、まず、哲学カウンセリング(哲学相談)の危険性についてですが、正直、危険はあるなあ、と思いました。二人でやると、やはりプライベートな話になりがちなので、そこにどこまで立ち入るのかが難しいなあ、と。
また、プライベートな話になった場合、例えばそこにトラウマというか、感情の地雷みたいなエピソードが埋まっている可能性があり、今回も実際そこに近づいているように感じることもありました。ですので、そこに触れてしまった場合の手当てについても考えておく必要もあると思いました。今回は、相手も対話に慣れた方ばかりだったので、「僕はカウンセリングの専門家ではないので、そういう話になりそうなら自分でブレーキをかけてね」というくらいのことを言うだけでしたが、もう少し間口を広げた場合には、しっかり対処を考えるべきでしょう。対話というものが持つポテンシャルを考えるなら、もし時間が無限にあるなら、そのトラウマさえも対話の俎上に載せることで対処は可能な気がしますが、まあ、それは物理的に無理なので、専門的なテクニックが必要になるということです。

また、やってみて気づいたのは、二人きりでやると、より僕らしさがにじみ出た対話になりますね。まあ、10人のうちの1人より、2人のうちの1人のほうが濃くなるのは当たり前なのですが。どうも僕は、理屈っぽく概念を切り刻んだり、場合分けをしてねちっこく反証したり、という傾向が強いようで、今回、僕とふたりで対話した方は、そういう印象を持ったようです。多分、他の方が哲学カウンセリングをやったら全く違う展開になるのでしょう。
この、人により展開が全く変わる、つまり、技法が標準化されていない、という特徴は、哲学カウンセリングの魅力でもあり、危うさでもあるように思います。僕の哲学カフェにおける振る舞いを熟知していて、あんな感じでやってほしい、という方が相手でなければ怖くてできないかも。

細かいところでは、僕は、対話の終盤で、なんとなくきれいな結論を出したくなるのだなあ、ということに気づきました。せっかくやったのだから、なにか成果を持ち帰ってほしい、というサービス精神からなのですが、対話の流れに無理が生じるのでやめたほうがいいと感じました。僕だけの問題かもしれないけど、もし哲学カウンセリングをやる方がいたら気をつけてくださいね。

また、同じ人で2回目をやるのはきついかもしれないですね。続きをするつもりで、こちらは前回どこまで話したか、細かいところは覚えていられないので。(だからといって、別なテーマを設定しても、きっと同じところに立ち返ることになるから同じですね。)これは、多分、ふつうのカウンセリングでは生じにくい問題で、思考の細かい襞のようなところにも立ち入ることになる、哲学カウンセリングならではの問題だと思います。(それなら、逐語で記録をとればいいではないか、と言われるかもしれませんが、僕は、哲学対話について逐語で記録できるという考えに否定的です。)

4 哲学カウンセリングの魅力

なんて、否定的なことを並べ立てましたが、やった感想は、まずは面白かった!です。大人数でやる哲学カフェとは違う魅力がありますね。やってみて、ああこんなことを味わえるんだ、と気づいた感じ。
例えるなら、相手の考えを探っていく探検家になったようなスリル感。または、相手の心というパズルを解いていく爽快感。まあ、当然、そんなに奥までは進めないし、解ききれないんだけど、すこしずつ前進していく感覚。振り返ってみると上質な推理小説の読後感に近いかもしれません。これを味わえただけでも、やってよかったです。

と言ってもわからないだろうから個人情報にならない範囲で具体的な例をひとつ。
今回、相手の方の話を聞いていて、同じことを表現するのに、なんで、こんな言葉遣いをするのだろう、もう少しシンプルな言い方がありそうなのに、とひっかかることが何度かありました。そのときは違和感を抱えつつも理解できた範囲で話を進めると、数十分経ち、違う話題に移ったあとに、ふとした拍子に、そのような言葉遣いをした理由がわかるということが何度も起きたのです。そんなとき、ああ、さっき、あの言葉遣いをしたのは伏線で、必然だったのだなあ、としみじみ思いました。それは、ジグゾーパズルが1枚カチッとはまり、相手の心という洞窟を一歩前進したような感覚でもありました。

この違和感のある言葉遣いとは、その人にとってのキーワードであり、僕の用語で言うなら、スペシャルワードです。
(スペシャルワードについての文章は「http://philosophicalpractice.jp/wp-content/uploads/2019/08/11.pdf」)
その人にとっての特別な言葉だからこそ、言い換え不可能な譲れないものとして、色々な文脈で顔を覗かせるのでしょう。
ぎりぎり個人情報にならない範囲で書いておくと、今回相手をしてくれた3名の方のキーワードは、僕の理解では、それぞれ「自由」「差別」「責任」です。
(当然それだけではないし、色々と興味深い話があったのですが、あえて単純化するならば、です。念のため。)
そのキーワードをあぶり出すのが、とてもワクワクして楽しかったのです。例えるなら、土に埋もれた遺跡を発掘し、土を払うごとに、徐々にその細部があらわになっていく感じ。そんなふうに相手の思考を探検していく醍醐味がふたりきりの対話にはありました。

5 ふたりでやってみて気づいた大人数の哲学カフェの魅力

以上は、いつもの哲学カフェではなかなか味わうことのできない醍醐味でしょう。どうしても、ひとりにそこまで時間をかけることはできないですから。
ただ、今回、ふたりで対話をしてみて、大人数の哲学カフェならではの魅力にも気づきました。(ふたりの対話でもできる)キーワードをあらわにしていく発掘作業も魅力ではあるけど、その発掘作業の先でやっていることのほうが、大人数の対話では重要だと気づいたのです。

大人数の哲学カフェで行われているのは、いわば、参加者が持ち寄ったキーワードたちのぶつかり合いです。もし、今回相手をしてくれた3名が参加者となったなら、少なくとも、「自由」・「差別」・「責任」という3つのキーワードがぶつかり合うことになるでしょう。
そして、対話を通じて、それぞれのキーワードがきれいに磨かれ、あらわになっていきます。これが大人数での対話におけるキーワードの発掘作業のやり方です。ここまでは、ふたりでも大人数でも大きな違いはありません。というか、効率の面では大人数よりふたりきりのほうがいいでしょう。

大人数の哲学カフェならではの醍醐味は、この先です。
大人数の哲学カフェでは、キーワードのぶつかり合い、つまり対話を通じて、自分以外の参加者のキーワードを理解していくこととなります。「自由」をキーワードとする参加者Aは、「差別」をキーワードとする参加者Bや「責任」をキーワードとする参加者Cの話を聞き、「差別」や「責任」についての理解を深め、自らの考えを深めていきます。このようなことは二人での対話では起こりません。(そのような「横道」に逸れないから二人きりはいいとも言えるのですが。)
これこそが、大人数の対話の醍醐味ではないでしょうか。

5-2 留意点

ただし重要なのは、ここでの対話で行われていることは、参加者Aが「自由」というキーワードを放棄し、「差別」や「責任」をキーワードとする立場に乗り換える「ことではない」ということです。
参加者Aは、あくまで「自由」という観点から、「差別」や「責任」をより深く捉え、そのことを通じて「自由」についての考えをより深めていくのです。(同様に、参加者Bは「差別」について、参加者Cは「責任」についての考えを深めていくことになります。)
人は、自らの根幹にあるキーワードはそう簡単には手放すことはなく、だからといって偏狭に他者の考えを否定するでもなく、柔軟に対話を通じて、自らの考えを深めていくことができるのです。
だから、対話において、本質的で根幹的な部分に及ぶような説得はありえないし、そのような次元での勝ち負けはありえません。単なる事実誤認の訂正のようなことはあっても、僕がスペシャルワードと呼ぶような、その人の根幹にあるだろうキーワードの放棄や変更を迫られるようなことは起こらないということです。

以上のような意味で、参加者は対話を通じ、自らのキーワードを磨き、深めていくのです。これは、多くの参加者がそれぞれのキーワードを持ち寄る大人数の哲学カフェならではのものと言えるでしょう。

6 まとめ

ふたりで行う対話には、一直線で思考の奥に分け入っていくような楽しさがあり、大人数の対話には、いくつもの思考がぶつかり合い、そこから新しいものが生まれるのを見届ける楽しさがあるのではないか。そんなことはやってみる前からなんとなくわかっていましたが、それを予想外に精緻なかたちで感じられたのが、今回の収穫だったように思います。
あらためて、ご協力いただいた方々ありがとうございました。
あと、偉そうなことを書きましたが、僕にも「哲学」と「対話」という大事なキーワード(スペシャルワード)があって、そこからは逃れられないなあ、としみじみ思いました。

7 告知

ということで、ひととおり実験は終わったので、今後、継続的に「ふたりヨコハマタイワ」をやっていきたい!とは思っていませんが、ニーズがあるかもしれないのでこっそり告知しておきます。
ふたりヨコハマタイワをやってほしい方はメール等でご連絡ください。

(条件)

・2回以上ヨコハマタイワに参加したことがあって、1回は二次会に参加するか、プライベートで会ったことがある方(僕の対話のやり方を知っていて、僕という人間もなんとなくわかっている方)
・明確に話したいことがある方(お悩み相談でも、哲学談話でもいいです。感情的な問題が生じそうなテーマは避けてください。)
・僕が専門的なカウンセラーではないことを理解し、感情的な問題が生じるような展開にならないように対話をコントロールできる方(なにか問題が生じても僕は責任を負いません。また僕は感情面をあまり配慮せず、ぐいぐい話を深めるタイプです。)
・「ふたりヨコハマタイワ」がはじめての方(2回目はやりません。)
・僕がやりたいと思ったときまで待ってくれる方(多くても、2ヶ月に1度くらいにしたいです。忙しい時期はやりません。)

(費用)

・無料(お互いに自分の飲食代を払うかたちでお願いします)

(場所)

・横浜近辺のファミレス(カフェより席の間隔が広いと気づきました)
・チェーン店のほうが長居しやすいです

(日時)

・土日の午前中(午後でも大丈夫ですが店が空いているかどうかが重要と気づきました)
・所要時間は多分1時間半くらいだと思います

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