ヨコハマタイワをダブルヘッダーで開催しました(39と40)

昨日の午後はヨコハマタイワでした。初めての試みとして、参加者を総入れ替えで哲学カフェを2回開催し、そのあと暑気払いをしました。

1回めは9名、2回めは8名、延べ17名もの方に参加いただけたというのは、すごいことで、(無料なので、あんまり感謝の言葉は出さないようにしてますが)、本当にありがとうございました。ニーズが結構あると再確認できて、うれしいです。

1回め

1回めは、9名中、6名が初参加で、さらに5名は哲学カフェ自体が初めてとのこと。最初はちょっとカタめでどうなるかと思ったけど、振り返ってみれば、かなりよかったです。何度も書いてるけど、哲学カフェに限っては、初心者だからといって舐めてはいけない。

時間が1時間30分しかなかったので、テーマは事前に僕のほうで設定して「合意とは何か?」にしました。意図としては、哲学カフェも、問いの答えを合意することを目指す場だよな、という問題意識がありました。

展開としては、「複数の人の間で行うものだよね」「納得が必要だよね」「妥協とは違うよね」などと話が進んでいきました。

話が抽象的だったので、具体例が必要かな、と思って、プロ野球の契約更改、関税合意、停戦合意といった例を出してもらいました。そうすれば、具体例に即して、どれが合意でどれが合意じゃないのか、なんて話をしやすいかな、と思って。

だけど、「時間が存在する、っていうのも合意に過ぎないんじゃないか」という想定外の発言があり、そんな筋書きは(良い意味で)裏切られました。さらに、時間論が好きな僕は理解できるけれど、他の方がついてこれてるか心配になったけど、皆さん、しっかりついてきていて、とても嬉しかったです。今日の初参加チームすごいな!とびっくりしました。ホント、舐めたらあかん。

なお、「時間が存在する、っていうのも合意に過ぎない」について簡単に説明すると、時間が存在するといった常識も、実は、社会システムとして合意し、時間が存在するということにしているに過ぎないのではないか、という話です。

だから、そこから、社会システムと個人との合意の話に進んでいきました。お金に価値があるというのも合意に過ぎないよね、というような。個人と個人の合意だけじゃなく、個人と社会システムの合意、社会システム同士の合意など、この世界は合意が張り巡らされている。そんな話でした。

けど、宗教二世が、「勝手に、◯◯という神様がいることに合意したことにさせられている」、また、第二次世界大戦において、日本は無条件降伏に合意したことにさせられている。このように、合意には、無意識の合意、強いられた合意もある。それを合意に含めていいのか、という問題についても考えました。

その場での答えは、両者が主観的にも納得し、対等さや信頼関係がある「合意」と、そうではない「みなし合意」があるのではないか、というものでした。だから、本当の「合意」は尊い。(一方、「みなし合意」も、悪いことばかりではなく、本当の「合意」であれ「みなし合意」であれ、合意しないと次に進めない、という意味では結構重要と思いました。)

終盤では、結婚という合意の話になりました。

僕の理解では、結婚には、「結婚を続ける」という大きな合意と、「料理を分担する」とか「浮気をしない」といった小さな合意がある。だから、「料理を分担する」は合意が破られたけど、「浮気をしない」という合意は破られてないから、妥協しつつも「結婚を続ける」ことを合意する。といったことが可能になる。そんな話と理解しました。

小さな合意の複合体としての大きな合意というアイディアはとても面白かったです。100%の合意と妥協としての合意の違いという問題を解きほぐす視点になりそう。

と、このあたりで時間切れでした。当然、きれいな答えは出なかったけど、かなり前進できて成果を残せたんじゃないかと思います。1回めの皆さんお疲れ様でした。

2回め

さて、参加者総入れ替えで2回めを開始。2回めは、8名中、1名を除き全員が経験者で、とても安心感がありました。1回めは初参加が多く、話も色々展開したので、僕も力が入りましたが、2回めは、参加者に任せて緩くやらせていただきました。

テーマは皆さんに出していただいた中から多数決で選び「長生きは幸せか?」に決定。参加者の一人も言っていましたが、「長生き」と「幸せ」という定義しにくい二つの言葉を重ねると、それぞれについて、「長生きとはなにか?」「幸せとはなにか?」と問わなければならず、難しくなるんですよね。さらに、「幸せとはなにか?」という問題は、ラスボス級に難しい。

けど、「幸せ」というラスボスについて、「あくまで長生きに関わる幸せ」に限定することで、問題の力を弱め、扱いやすくできると捉えるなら、なかなか、いいテーマだったんじゃないでしょうか。

とりあえず、長生きについては、何百歳も生きるようなSFチックな話にはせず、あくまで幸せのほうに焦点を合わせることにして、長生きのメリット、デメリットの話になりました。たとえば、老化による体の不自由さ、友人との死別といったデメリットがある一方で、社会経験、人脈の蓄積、そこからトラブルを避ける技術の向上、または避けられないトラブルを受け入れる心構えといったメリットがあるという話です。意外と長生きにはメリットあるじゃん、というのが驚きでした。

僕の中での成果は、長生きという時間経過に着目することで、「幸せ」は、その渦中にいるときはわからない、ということに気づけた点です。「幸せ」には、あのときは幸せだったなあ、と過去を振り返るようにしかアクセスできない。少なくとも僕の場合、現在については、「ああ、いつか振り返ったときに、この瞬間を幸せだったと振り返るのだろうな。」というようにしか、今ここの幸せにはアクセスできない。つまり、幸せは過去にしかない、という気付きです。(似たことについて、ちょうど文章を書いたのを思い出したので、ご参考まで。https://dialogue.135.jp/2025/08/11/jisei/

「幸せのタネ」という言葉もあったけど、確かに、現在にあるのは、あくまで幸せのタネで、現在が過去になったとき、それが発芽し、幸せに育つのかもしれません。究極的には、死ぬときになって初めて、人生全体の「幸せ」にアクセスできるということであり、歳をとることは、このような意味で悪いものではないのかもしれない。

あと、僕の中では、若くて無限の可能性が広がっていることと、「幸せ」は密接に関わっているような気がしていたのですが、可能性が狭まっても、狭まるなかで目標を定めることが「幸せ」に関わっているのではないか、という話もありました。可能性を目標にうまく変換しつつ人生を乗り切っていく、というイメージかな。

けど、それに対して、歳をとってから、ようやく自由になり、可能性を手に入れる場合もある、という話もあり、「おお、確かに」なんて思いました。

全般として、2回めのほうは、自分語りによる肉付けもあり、1回めよりも生々しい話ができたのではないでしょうか。

初参加が多い1回めと経験者が多い2回め。事前にテーマ設定した1回めとその場で決めた2回め。抽象的に話が様々に展開した1回めと具体的なエピソード込みでじっくり進んだ2回め。そんなふうに違いを感じることができたのは、2回、連続開催したからこそ、かもしれません。

疲れたけど、やってよかったです。

プチ暑気払い

終了後、2回めの参加者8名のうち7名と、1回めの参加者のうち2名といっしょに、プチ暑気払いを近くのお店でやりました。(1回めの参加者2名には、2時間も待っていただいちゃいました。)

皆さんにチヤホヤしていただき、さらに(お一人には)ビールを奢ってもらうという趣旨で少し多めに出していただき、ありがとうございました。

うちの奥さんには、今日は「いちろうフェスだね」と言われていたので、その名に恥じぬ、楽しい場でした。

みんな、結構深い話をしたいらしいことがわかり、今後は、居酒屋ヨコハマタイワとか、二人ヨコハマタイワ(これは前にもやった)とか、色々な形態でやっていきたいな、と決意を新たにしました。

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