昨日のヨコハマタイワ42「迷いはなぜ生じるか?」

昨日のヨコハマタイワについての記録です。(1週間前に書きました。)

【始まるまで・アイスブレイク】

連休初日だったからか、申し込みがスローペースで、満員になったのは数日前でした。(実はもっと前に満員になってたのに、油断して締め切るのを忘れてました・・・)

ということで、8名定員のところ2人オーバーの10名の申し込みでしたが、当日までに3名の方から体調不良などで欠席の連絡があり、最終的には7名になりました。

なんだかバタバタでしたが、僕はそのくらいが適正人数だと思っているので、結果オーライです。

結果的に、(いつも以前参加いただいた方に案内してすぐ定員になるけど)ぎりぎりまで募集していたからか、なんと、7名のうち6名が初参加!常連の方が多いのも楽しいのですが今回は新鮮でした!

ところで、今回はアイスブレイクも面白かったので一言。いつも自己紹介を兼ねて、「朝ごはんは何を食べましたか?」のような質問をするのですが、今回は「国内でおすすめの場所は?」を質問にしたら、いろんな話が聞けてよかったです。旅をしたくなりました。

【迷いについて】

さてここから本番スタートです。今回は事前にテーマを決めないかたちだったので、まずテーマ出しから。いくつか出た中から、多数決で「迷いはなぜ生じるか?」に決まりました。

このテーマは、就職で迷っているという参加者から出たものでした。(いつもは、個人情報は極力控えているけど、今回は書かないと伝わらないので、了承を得て書いています。)

そこから、「迷いには、(ランチをどうするかのような)小さい迷いから(就職や転職や恋愛のような)大きい迷いまである」、といった話や、「後悔や損をしたくないから迷う」といった話が出ました。

また、「迷うこと自体が、妄想を楽しむようなポジティブさがある」という話もありましたね。(最後のほうで出た、「若くないと迷う情熱も持てない」という話もつながってるかな。)

【迷いの対処法・価値観】

そこから、「一見悪い選択も人生で役立つし、違う選択をしたとしても別の失敗があったかもしれない。どんな選択でも、結局、どれも一緒だから、迷わないで、とりあえず一歩踏み出すしかない」という話の流れになりました。(サイコロや占いを使ってもいいから、迷わず選択を!というのも印象的でした。)

さらに、「確たる自分があって、価値観が確立していればいい」という話もありました。(僕は、価値観が確立してないから迷うのかな、と思いながら聞いていました。)

【理性と直感】

ここから「(価値観に合っているという意味での)良い選択かどうかはどうやってわかるのか」という問題に発展し、「良い選択は直感でわかる」という一つの答えが出ました。

心からやりたい!心地いい!と直感で感じるからわかる、ということです。それならば、「迷いはなぜ生じるか?」の答えは、「うまく直感が使えてないから」ということになるのでしょう。

そこで、理性と直感の話に移りました。というのも、実は没になったテーマの中に「理性と直感のバランスをどうやって生きていくか?」というものがあったからです。

【テーマの繋がり】

ここで僕は、内心「おお!」と声が出ました。実は、僕が、当日テーマ出しするスタイル(プレーンバニラと呼ぶらしい)が好きなのは、参加者が話したいテーマが、こんなふうに繋がることもあるからなんです。

ちなみに、なんで繋げることにこだわるのかというと、話が繋がるということは、参加者同士が実は互いのテーマを気にかけていた、ということだからです。その気持ちが場の空気となって、そこから偶然の化学反応が生まれる瞬間があるように思うんです。

僕はそんな場を目指しているところもあります。

(もうひとつの没テーマである「幸せとは何か?」もかなり場に溶け込んでいたように思います。)

【理性と直感の問題】

そこから、理性と直感は、『ファスト&スロー』(本のタイトル)や「頭と体」「将来と今」という対比とも繋がっているという話になりました。

整理して二項対立させると、「直感=体=今(刹那的)=素早い」つまり、直感は身体的で、判断が素早くて今とつながっている。

一方で「理性=頭=将来=ゆっくり」つまり、理性は頭で色々考えるもので、判断に時間がかかって、将来とつながっている、ということになります。

そこから、さらに問題が二つ出てきました。

ひとつは、没テーマのとおり「刹那的な直感だけでは駄目なら、どう理性と直感のバランスをとるのか。」というバランスの問題です。

その答えとして参加者からは「直感に主導権があって理性は道具だ」という意見がありました。(ここは、もう少し話したかったけど時間が足りず。)

もうひとつは、「どうやって理性と直感を見分けるのか」という問題。

体でわかる、と片付けるのは簡単だけど、それができない人に伝えるのは難しい。

(僕は、選択をした後の状況を思い浮かべるのがいいのでは、と思いました。そこで断片的なイメージしか持てないなら理性で、豊かな情景を思い浮かべられれば直感、ということになります。)

【他の迷い】

ここまで、あまりにも、就職活動に悩むある参加者のお悩み相談になってしまったので、他にも「迷い」の問題を抱えている方がいるか聞いてみました。

すると、「仕事でミスをした後、自分の判断に迷いが生じた」というエピソードを話してくれた方がいました。(ちょっと就職活動の悩みとは違うんだけど、なんて、その方は言っていましたが、確かに違う。)

【終了】

このあたりで残念ながら終了時間でした。皆さんお疲れ様でした!

初参加の方が多かったけれど、(僕のことはあまり気にせず(笑))がっつり話していただきました。そして、なにより相手の話をしっかり聞いていて、ほんとにいい場でした。

お悩み相談っぽい展開になりましたが、これは決して悪い展開じゃなくて、具体例を絞れたからこそ、いい話ができたように思います。特に就職活動という微妙な話を自己開示していただいた方には、感謝します。おかげで話に豊かな肉付けができました。

【終了後に考えたこと:悪い迷い・良い迷い】

最後に、僕が終了後にモヤモヤ考えたことを。

僕は、選択肢が一つしかないのに迷うことがあります。非の打ち所がない、いい引っ越し先を見つけたのに、決断を躊躇してしまう。または、好きで結婚したいのに、決断を躊躇してしまう。

このことが終盤ひっかかっていたのですが、後から考えると、これって、話に出ていた「仕事でミスして臆病になる」のと同じ種類の(悩む必要がないという意味での)「悪い迷い」なのかもしれません。

一方で、複数の選択肢の間にメリット・デメリットがあって優劣つけがたくて迷ってるだけなら「良い迷い」と言えるでしょう。なぜなら、そこで悩んだことはきっと将来役立つから。(だから、就職活動のような迷いは、きっと「良い迷い」)

自分がこれからの人生を生きるうえでの物差しとなる価値観を磨き上げるためには、(就職活動などで)迷うことは、きっと悪いことではないと思うんです。

けれど、もしそこに、臆病さや躊躇という「悪い迷い」が紛れ込んでいるならば、それは丁寧に取り除いて、本当に必要なことだけ迷うほうがいい。

そんなことを、-参加者のためではなく-歳を重ねたわりに迷いがちな自分自身のために考えました。

(今日も、老後に向けた投資をどうしようかとウダウダ迷っていました。でも、こういう迷いは、半分趣味のようなもので、また別の「妄想系の迷い」とでも呼ぶべきかな。)

考えてみれば、「良い迷い」の最たるものは、この哲学カフェのような場かもしれません。なんせ、迷わなくていいところで、あえてみんなで迷ってるんだから。

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