ヨコハマタイワ44の開催記録です テーマは「世の中はよくなっているのか。」
先々週のヨコハマタイワの記録です。
8名定員のところ、雪のため3名が欠席で、5名で開催しました。
となると思ってたら、当日、なぜか2名多い7名の参加者にお越しいただきました。
どこで間違えたんだろう・・・欠席がなければ10名になっちゃうところ、雪に救われました・・・
まあ、結果オーライなので今後もこのくらいの緩い感じでいこうかな。
今回は、その場でテーマを決めるパターンで、テーマは「世の中はよくなっているのか。」となりました。
テーマを出した方に問題意識を伺ってみると、働き方改革やワーク・ライフ・バランスで世の中はよくなっていると言われているけれど、昔には、同僚と一体となって一つのプロジェクトを成し遂げることで、一体感や達成感というよさもあったのでは、というものでした。そこを出発点として話が始まりました。
(なお、これはテーマを出した方自身の体験ではなく、誰か他の方が言っていたのを聞いて問題意識を感じたというのが興味深かったです。)
そこから、(対話の中で出た言葉遣いではないけれど、)今回の対話は、昭和的なものと令和的なものを対比するような話が中心となったように思います。
そんな切り口から、参加者(僕も含む)から出た話を箇条書きでメモしておきます。
・昭和的なよさもあるし、令和的なよさもあるから、簡単に世の中がよくなっているとは言えないのではないか。
・ただ、昭和は強い人=マジョリティの視点で、令和は弱い人=マイノリティの視点なのではないか、昭和の視点は成年・男性・日本人のためのもので、たとえば当時の女性の犠牲のもとでないと成立しなかったのではないか。
・けど、最近は、令和的な視点が数としてはマジョリティになってきているよね。
・昭和の昔には自分で生き方を決める自由がなかったけれど、令和の今は自由だから、生き方を決めることを求められているのがきつい。
・SNSなどで、華やかな生活を演出しなければいけないのは、あえて、ある生き方を選んだことを他者に対して正当化しなければいけなくなっているからでは。
・時代によって「よいもの」は変わっていくけれど、世の中での「よいもの」が定まっていない過渡期と、「よいもの」が一致し、ベクトルが揃っていく時代があるのでは。昭和はベクトルが揃っていた時代で、やがて何らかの別のベクトルで揃っていくのだろう。令和の今は、その間の過渡期にいるのでは。
実際はこんな言い方ではなくて、もっといい言葉遣いだった気がするし、他にも色々面白い話があった気がするけど、1週間経ったら、ちょっと忘れちゃいました。すみません。
※ この文章を読んだ参加者の方から、箇条書きの最後のポツの話について、発言のホントの趣旨について書いていただきました。
「時代によって良いと思われるベクトルは変わっていくと思う。今大きなベクトルは「平等化」「ライフワークバランス」があると思います。共に今は良くなっていく過渡期にいるのではないか。また、良いと思われるベクトルは常に新しく出てくるし、さらに良くしたいという気持ちも出てくるので、常に過渡期にあって良くなろうとしている。満足することは無いのではないかと思う。」
けど、全部を忘れた訳じゃなくて、僕なりに切り取り、受け止めた対話の断片はまだ心に残ってます。
それは「幸せ」の話です。(テーマは「世の中はよくなっているのか。」だったから、「よい」から「幸せ」の話になりました。)
そこで、終わってから「幸せ」について考えたことを別のブログに載せています。
「「幸せ」という言葉を蹴っ飛ばしつつ愛でてみる」
https://dialogue.135.jp/2026/02/14/kettobasu/
です。
(この文章では、昭和的幸せ=幸せそのもの、令和的幸せ=幸せの条件みたいな話をとっかかりにしてます。)
参加者として哲学カフェに行ったときに感じるけれど、対話の中で、一言でも、何かひっかかる言葉があって、その言葉を持ち帰ることができれば、哲学カフェとしては大成功だったな、と思います。
まあ、もし何も言葉を持ち帰らなくても、色んな人と話し合うことで気分転換ができたら、それはそれで成功なんですけどね。
最後に次回の話ですが、今回出た没テーマで「スワンプマンは本当の自分なのか?」というのがあったので、これをやろうかな。あえてスワンプマンとは何か、とか説明しないけど、面白そう!と思った方がいらっしゃったらぜひ!
(提案いただいた方は参加を優先したいのですが、メールアドレスがわからないので連絡がとれません。もし参加希望であればメールお願いします!)
